母校の大川小学校は、実家である我が家から3・4軒となり。野山を駆けめぐり思う存分自然と戯れた小学校時代の楽しかった思い出がよみがえります。
何故、裏山に駆けていかなかったのかなどと、言っても仕方のないことです。子どもたちは還ってこないのだから。
素直でやさしい子どもたちだったのでしょうね。たくさんの思い出をつくって社会に巣立つはずだったのに。無念でなりません。小学校の門前には花束やお菓子、飲み物、ボールなどが添えられていました。私も花束と、お菓子を供えて手を合わせてきました。
子どもの手がかりを探しに来ている人のなかに、近所の知り合いのご夫婦もいました。かける言葉が見つからず、頭を下げることしかできませんでした。
悲しみの深さは察するに余りあります。時間はかかるかもしれません。けれど、悲しみを乗り越えて前を向いて歩み出すことを信じています。